阿原田八幡神社の鰐口 1

この鰐口は、宇佐美阿原田にある八幡神社に永く保存されてきたもので、銘文によると、文明17年(1485年)という年号が刻まれている。

浜崎家の木造毘沙門天立像 1

作者は不詳であるが、南北朝時代(14世紀)の制作と考えられ、関ヶ原の合戦に敗れた落武者が背負って宇佐美の地に祀ったと伝えられる。胎内には修理等の記録書が納められている。

元禄津波供養塔(行蓮寺)1

宇佐美地区留田行蓮寺境内にある石塔1基。元禄16年(1703年)11月22日の元禄地震による津波で亡くなった人々を供養するため建立した。

天照皇大神社本殿 1

昭和42年に県天然記念物に指定された社叢の中に鎮座する。天正16年の棟札が残されており、神社の歴史を伝えるだけでなく、不明な点が多い中世の伊東の情勢を伝える史料としても注目される。

杉崎神社の鰐口 1 (江戸時代)

松原神社と合祀されている杉崎神社に伝わった鰐口。指定の2件は室町時代と江戸時代のもので、中世において奉納されたことが銘文によって明らかである貴重な資料である。

杉崎神社の鰐口 1 (室町時代)

松原神社と合祀されている杉崎神社に伝わった鰐口。指定の2件は室町時代と江戸時代のもので、中世において奉納されたことが銘文によって明らかである貴重な資料である。

吉田隧道 1

江戸時代後期(1825年・文政8年以降)に造られた灌漑用水を目的とした吉田用水の隧道である。

伊東家の墓

伊東市には、平安朝末期以降の石製塔婆(石製五輪、宝筐印塔)が少なくないが、その多くは伊東氏とその一族の墓石かまた逆修供養の塔と推定されるもので、市の歴史を物語る貴重な文化財である。

比波預天神社のホルトノキ 一本

根廻10.20m目通6.90m樹高18.00m枝張東西17.40m南北16.30m 暖地性の常緑広葉樹、高木、葉は革質、花は白色(開花7-8月)往時は斜面で生育していたが社殿前の広場造成時に残されたもので現在の地表より約2mは根の部分であった。いわゆる「根上りの樹」である。本樹は千葉県以西の暖地に点在するが、当社のような大木は極めて少ない。

最誓寺のソテツ

伊東市内で一番大きく、樹勢も旺盛で大きさもあり、更に姿が美しい。目通り3.50m

音無神社のシイの木 1

市街地において特に巨大なシイの木であり、市指定文化財タブの木と共に音無の森として頼朝と八重姫のロマンスをしのばせる。

音無神社のタブの木

伊豆では巨大なもので珍しく、市街に巨木が残っていることは、伊東市がいかに温暖であるかを示す標本木であり、学術的にも観光的にも貴重である。

山神社のムクの木(群落)

ムクの木は、関東地方から西に分布している。材質は堅く、割れにくい。境内にはこのほかに、樹齢300年以上もある杉、けやきなどの古木もある。6本、根回り4.15mm、目通り3.7m、高さ10m

八幡宮来宮神社 本殿、渡殿及び拝殿 2棟 附棟札5枚

本殿は、二間社流造という極めて稀な形式で、拝殿においても内部を格天井にするほか、特殊な建具を用いるなど、伊豆地方の神社建築を知る上で貴重である。また、棟札により、八幡宮と来宮が別の社殿で祀られていたものを、寛政7年(1795)に一棟の本殿に合祀し、文政7年(1824)に拝殿を建てたこと、及び造営には伊豆半島各地の大工、彫師等が携わったことが知られる。

旧木造温泉旅館東海館 1

木造3階建て旅館として、その時代の代表的建築物である。内部の仕様に、えりすぐられた材料が使用されているとともに、意匠的に当時の大工の優れた技術がうかがえる構造であり、昭和初期の旅館建築の典型として文化的価値を有する。

八幡宮来宮神社屋台 1

屋台の制作年代は嘉永2年と伝えられ、作者は西伊豆の松崎江名村の名工として知られた石田半兵衛と長男馬之助といわれている。

八幡宮来宮神社神輿(2基)

県内で神輿を文化財として指定しているところは極めて少なく、安永7年(1778年)8月の年号と79名の若者組の名が輦台裏に墨書きされ、伊東の神輿の中では最古のものである。明治時代の神仏混淆の名残をとどめており、簡素の中に格調の高さを備えた神輿である。